1. PRIDE1 高田対ヒクソンエピソード 1 高田対ヒクソンこの決戦は、98年10月9日だったと思います。 まず決戦前から気に入らなかったこと、確か多くのマスコミはヒクソン対高田とうたっていたと思います。 下馬評もヒクソンには勝てない。 私もそう思っていました。 しかしながら、この戦いの定義はまさにプロレス神話の防衛につきました。 絶対に高田さんは負けてはいけなかったのです。 当時私は当然会場に馳せ参じる(観戦するではない)予定でおりました。 しかし仕事の関係で、どうしても韓国に行かなければならなくなりました。 仕事上はいえませんが、私は何よりもプロレスを優先しなければならないので、かなり困りました。 ただ日程が10.9大阪国際空港着だったので、飛行機の遅れが大きくなければPPV観戦可能なので何とかOKしました。 韓国で色々ありましたが、何より心配なのは帰国の時間でした。 事前より各氏には、「どうしても重要な用があるので、関空到着と同時に失礼いたします。」との旨は伝えておきました。 関空到着と同時に、一本でも早い電車にと、当然走ってホームへ。 事前に妻に電話でPPVの購入方法と録画の手順を確認。 新幹線中は私が急いでもしょうがないのですが、心はイライラ。 しかし何とか第二試合位につきました。(定かではない。) 土産話やお土産などそっちのけで、テレビに向かいます。 心の状態も整えねばなりません。 この戦いに負ければ、プロレス界外に何を言われるか分かっているからなおさらです。 高田―ヒクソン以外は全て前座。 いよいよメインとなりました。 はっきり言って、最も高揚したのは高田氏の入場シーン。 安生とリングイン前に話したシーンなどはとても印象深かった。 後に、松やにを足裏に塗る時間稼ぎだと知りましたが、(そんな事いうな!)という感じです。 ゴングが鳴り、高田氏がヒクソンのまわりをグルグル廻るのを見て、(勝てないな。)と直感しました。 しかし信じていました、勝利を! レスラーはその予感をひっくり返すのが役目なんです。 しかし、リアルファイトではそうはいきませんでした。 私がどれだけ打ちひしがれたか。 常人のレベルではありません。 全ての映像、書籍を買いましたが、ろくに見ず、読まず。 しばらくの期間立ち直れなかったと思います。 やってよかったのかな? 新生UWFがブレイクした時点で、この流れは止められなかったのです。 日本人は真剣勝負がすきなんです。 侍の国だから。 エンターテイメントの国アメリカとは違うんです。 このときの、いざ鎌倉度レベル10。(10段階評価) 次回は、安田対ジェロム・レ・バンナ戦の予定です。 ジャンル別一覧
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